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2011/03/16 (Wed) 被災地に居たのだと、今実感した。

改めまして、今回ご連絡いただいた皆さん、
一時は連絡が取れずご心配をおかけいたしましたが、
14日午後、無事、実家に戻りました。

家族、各地の友人、知人たち、
そしてお世話になった塩釜の現地の方々、
そのご親戚やご近所の皆さん、
ネット等で無事を確認させていただいた皆さん、
無事で本当によかったです。
生きていてくれて、本当にありがとう。

まだ連絡が取れなかったり、確認できないといった状況もありますが、
無事を信じて、祈りたいと思います。







受信可能エリアに入った瞬間
安否確認のメールが一斉に送られてきましたが、
「心配しているだろうから、すぐに返事をしなきゃ」と思うのは、
通信状況や、バッテリーが不十分な環境では
意外に負荷の高いものでした。

そして、飲み水の確保など、その場で
自分や、自分の目の前にいる人が生きることに必死でした。






地震当日、私は友人のT家と一緒に、
仙台空港の北側にある、仙台港北ICそばの夢メッセで、
T家の親戚のおじさんと待ち合わせをしていました。
14時過ぎに塩釜を出て、多賀城市という太平洋側の道を、
二台の車で並走しながら南下していました。

(確か)14時40分ころ、震度7という大きな揺れを体感し、
元の塩釜の友人宅へと引き返しました。

後に、自分は震源地の真西の海沿いにいて、
あと数分で津波の被害に遭う可能性があったこと、
友人宅から2~300メートル離れた場所は冠水し、
電信柱が倒れ、家屋が流されていたことを知りました。

それから3日間、友人らと共にお隣の家に寝泊まりさせていただき、
そして、反対隣のお宅の車で駅まで送っていただき、
バスと地下鉄を乗り継いで、実家に戻って来ることができました。

ありがとうございます、お互いさまです、おかげさまです、
のやり取りの中で、何度か嬉し涙を流しました。






時が過ぎ、現実を受け止め始めるとともに、
土足で人々が行き交う真横で、毛布にくるまって眠る人たちの
避難場所の空気に触れると、
自分の中の恐ろしい何かと一瞬共振し、それもジッと受け止めてみると、
不気味な非常警報やサイレンの音、黒煙や道の裂け目も、
余震におびえながら、じっと時の経つのを待つ間も、
皮肉なほどに美しく煌びやかな星空も、
涙が出るような真っ青な空や子供たちの笑い声も、
世界で起こる様々な状況や現象に重なり、
すべては共に、ここに在るのだと納得しました。

今回言葉を交わした人たちは、みな口ぐちに
「たまたま○○しなかったせいで」
「たまたま○○したおかげで」と言っていました。

私も同様です。
そして私は今回、自分が生きていること、
家族や友人、知人たちと再会できることを、
一度たりとも疑うことはありませんでした。

そして落ち着いて周囲の願いや祈り、想いを実感しはじめたら、
ただそれだけが、そのすべてが、
私を生かす理由だとしか、今は思えないのです。







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2011/03/16 15:02 | [ 編集 ]


Re: リカ 

いまだかつてない緊張感と緊迫感で、
日々を過ごすだけでも気を張っているんだと思います。

改めて、会って、顔を見て、笑える日を楽しみにしてます。
無事でいてくれて、ありがとう。

2011/03/16 20:53 | REI [ 編集 ]


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