2017・08
<< 1/2/3/4/5/6/7/8/9/10/11/12/13/14/15/16/17/18/19/20/21/22/23/24/25/26/27/28/29/30/31/ >>
2014/01/16 (Thu) 繁茂

六本木で見つけた素敵な喫茶店。

ここに来て、記憶を取り戻す力、というのが
モノにはあることを再認識しました。
空間がつくる心の趣は、
場のもつリズムと連動してるんだな、って。

ここでの私の時間は、
黄昏とか郷愁からのエネルギーチャージ。

とにかく、六本木・麻布界隈は
そこで生まれた祖母の記憶が散らばってるらしく
私を受け容れる力がある。

母の育った田園調布も、やっぱり
私を受け容れる力が半端なくて
そういう「土地」のもつ作用に敏感な
私は、さすが建築屋の娘だなぁと自画自賛。







いつもの席で
一昨日、ツイードのスーツを着た初老の女性が、
世界の影響を受けた日本の建築家たちの話をしていた。
ここに母がいたら、盛り上がりそう。

「未完成の美」について、先日話したばかり。
父も以前言ってた。

 壁をヘラで塗装してもらうんだ、塗装屋さんに。
 でも経験豊富な職人さんは上手すぎて
 機械で塗ったみたいになっちゃうから、
 わざと下手に塗って下さいって頼むんだよ。
 手塗りの凸凹に、味があるんだ。

それぞれの人の固有の癖や性質は、
完璧な機械とはちがう風合いがあって
その個性をたのしむ感性は、
私にも受け継がれているように思う。






 彼(父)のカリスマ性を守りたくて、必死だったから。
 娘たちの気持ちを理解してあげることができなくて
 その心に影を落としてしまったのよね。
 だけど精一杯、精一杯愛したのよ家族を。私なりに。



私はなんだか
泣きそうになってしまった。
充分わかってる。お母さんの愛は。
だけど愛の反対にあるものも、わかってしまったんだ、
だから幼心に飲み込んだ想いは、
私の寂しさやもどかしさ、理由の解らない影になってた。

 うん。
 でもそのカリスマ性を見抜いたあなたにも、
 同じだけのカリスマ性があるってことじゃない?

「…そうかも知れないわね。」
母は少しほっとしたように見えた。

 お父さんは建築業界のパイオニアだったんだよね。
 まだ建築家なんていない時代に始めたんだって言ってた。
 だから建築家を知らしめる一翼になった人なんだと思ってる。
 そんな親の元に産まれて、私は幸せだと思うんだ。

相変わらず私は、親にありがたみをつたえる
その神髄から離れずにいる。
だって私と未来を照らすためには、
背景が明るくないと、という後付け。

ただ、言いたくなる。
彼らを讃えることで、私は嬉しくなるから。

 それにね、世代間連鎖は、各世代間のトライなんだと思ってるの。
 全ての人にとっての。
 闇を光に変えるのも、個として課した自分への命題なのかもって最近思う。
 より良いものを生み出そうとする、その想いが歴史を作ったのだし。
 私、自分に向き合って、闇を光に変えてきたじゃん。
 恨むほど愛する家族を、私も私なりに精一杯愛してるし。






母は時々、ふいに
解ってるんだなぁやっぱり。
ということを言い出す。

もちろん、無意識的にも、意識的にも
そういう対話を私が望むから、でもあるけど。
彼女が受け取れようが受け取れまいが関係なく、
ギュウギュウと押し込むようにして
想いと言葉のエネルギーを注ぎ込む。






何のために生きてて、何を次代に残せるのか、
そんなことを考えて生きるのが人間なんだろうと思う。
少なくとも私は、そんなことばかり考えて生きて来た。
考えなくても生きていけるし、
考えずにいられる時は楽だけど、
楽のあとに苦悩を持ち込むのは「確認」みたいなもの。
自分の使命とか、役目とか、
今日という日の意味とか意義とか、そんなことを。







ある時私は、将来産んだ子供を
私みたいな子どもにしてしまうのなら、結婚も出産もしない。
と決めた。
というより「私の子供なんだから大丈夫!」
と言える肝っ玉母さんになりたい、という夢があった。
母は私と感情の波を共有してしまうから、
頼れる母が欲しかった私の幼心。

「断ち切る」と決めた「負の連鎖」は
自分の外じゃなく内にあることを知り
それは想像の中にある「可能性」の恐さで
「現実」ではないことも冷静になればわかる。
だけど可能性がある以上、私の理性は本能を上回った。
私の直感と理性を超える力は、意識の転換以外にない。

そして押し込んだ感情を吐き出すために
泣いて泣いて、わめいて叫んで怒りまくった。
きっかけを掴んだら弁は開いて
簡単に出てくるようになったし、
お腹がすいたり眠くなったりする
シンプルな欲求に、自分が応じてあげられるようになると
自分の中の小さな私は、充足と元気を取り戻した。

いつになったら「大丈夫」と思えるのかわからないまま、
日々を過ごす中で、ふと
私は母みたいになるな、きっと。
そしてそれがいいな、それでいいな、と思うようになった。

もし子供を悲しませる事を言ったりやったりしてしまったら、
母のように「ごめんね。」って言おう。
子供に教えられる事があったら、
「ありがとう。」って言おう。
それでいいや。
それだけでいい。






昔から母が言う
「なんだか知らないけど突然口をついて出て来ちゃうのよ」
という言葉は、
母の全体性、母性と神性が語るセリフ。

こういうところ、すっかりそのまんま受け継いでしまった。

思いあまって咄嗟に
「私を私と認識してくれてありがとう」
と言った時は、さすがに自分で驚いた。
私って誰www って。






だけどその真意が解れば解るほど、
優しさで人はできてることを知る。

世界中の全ての人がそうであることを信じられる。
「神聖な自分」
その自覚の有無や事情や心情、どんな背景があっても。







お父さんがね、こないだ
俺は君の理想の男になれてるかな?って聴くのよ。

素敵〜!!

驚いちゃった。でもそれに返事はしませんけどね。

どうして?なれてますよ、って言わないの?

だって終わりじゃないじゃない!
まだまだ先があるじゃない?







母は一生、永遠に父に理想の男性でいて欲しいんだね。
死ぬまで、もっとより素敵な人になって欲しいんだね。
わかるなぁ。

欲求を充たす喜び。
そして喜怒哀楽を分かち合って、
理解して共感できる関係を築いて行く繁栄。

それぞれの人生を舞台に、主人公たちが生きるこの世界で。

お金では買えないもの、というのは
時間だったり、許し合う心のことかも知れない。
だけど時間や空間を守るお金が私たちにはいる。
だから「どっちか」でも「どれか」でもなく、
すべてが必要性にもとづいて、
あるべくしてあるのだ、と改めて思う。

そこにどんな意味合いをもたせるのか
というだけで。おそらく。

欠乏や欠落は、そもそもにある「必要性」が生む証。
生きている、ということそのものの「事の実り」が。

原家族 | trackback(0) | comment(0) |


<<産みのよろこび | TOP | 紺碧から白堊へ>>

comment











管理人のみ閲覧OK


trackback

trackback_url
http://colorfulharmony.blog85.fc2.com/tb.php/2018-fa05c86d

| TOP |

■PROFILE■

 

■CATEGORY■

最新記事

検索フォーム

リンク

このブログをリンクに追加する

月別アーカイブ