2015・02
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2015/02/23 (Mon) 結婚記念日

今日は結婚記念日でした。

昨年の2月22日、入籍した日は雪がチラチラ降っていて、
土曜日だったため時間外窓口のようなところに行って
ふたりで山形市役所に婚姻届を提出しました。

市役所の駐車場は「222」番で
こんなところまで語呂合わせ。







あれから、あっっっという間に1年が経ち、
記念日のお祝いに、今日、海の上にあるレストランに
食事をしに行きました。

自分が、そんな一連を経験していることが、
どこかくすぐったいような、
恥ずかしいような感じもしながら。

ほこほこと、心の奥があったかいのは
幸せだなぁ、これが私の現実なんだなあって、
実感するから。

IMG_4387_convert_20150223035532.jpg








桜の時期に、命を授かったね。
去年の夏は本当に暑かったね。
なんて、
振り返れば、人生の大きな大きな変容を刻む時の
その濃厚なことといったらなくて。

それでも彼は、
「将来、子どもは何人にしよう?」とか
「子どもが産まれたら毎年、記念に行くお店を作ろう」とか
とにかく前向き。

私はというと、昨年まで
結婚するとか、子どもを授かること自体が、
どこかで夢のまた夢くらいに思っていたし
(根底では、それを現実化することを意識してたけど)
だからまだまだ、これからの未来なんて考えられない、
という感じなんだけど。

春に流産した時も、私はどこかで
「また授かるかわからない」
と思っているのに、彼はケロッとした顔で
「産むときは絶対、池川先生のところにしよう!」
と笑顔だったりして。

それは何より、彼が自分自身を信頼している
ということで、
その、決して私たちの未来を疑わない姿勢に
すごく、すごく支えられました。

そして実際、それが現実になって、
再び命を宿すことになって。







深いところでは現実化することを意識していた
というのは、
カウンセラーの資格をとってほどなくして、
「私、カウンセラーになりたいんじゃなく、
 幸せな家族を作りたかったんだ…」
と、自分の本音に気づいてしまって、
驚きました。

「結婚?
 したいと思う人が現れたらするんじゃない?」

「なんでわざわざ結婚ていう形にするんだろう。
 お互い一番愛し合う同士だったらいいんじゃない?」

なんて、シレッとした顔で言っていた私は、
実際のところ、
結婚に対してネガティブなイメージしかなく、
「結婚したら、離婚してはいけない」という
親の非言語的なメッセージも受け取っていたから、
「結婚はできないし、もしできても窮屈なもの」
という思いこみの中を、ずっと生きていました。

だから、当たり前のように結婚していく友人たちが
不思議でもあったし、
結婚する友人たちには「どうして結婚することにしたの?」
と、必ずのように聞いていました。
純粋に、知りたかった。

ある友人が
「結婚しない理由がなくなったから。」
と言っていて、
「きっと玲子には、結婚しない理由があるんだと思うよ」
と言われたことが、なんだかすごくしっくり来たのを思い出します。

実際、私には結婚しない理由がありました。
それは先にも書いたとおり、
結婚しない事で母を守っていて。

(完全に無意識・無自覚ではあったけれど)
母の理想の女性像であろう
純潔であることの証明をしようとしたりもして。

性=不純、という無言のメッセージも、
たくさん浴びていたから。

今となれば、それは親からのメッセージというよりも
もっともっと奥深い、
宗教的、時代的背景にある価値観が
親にも浸透していて、その影響を受けていた
という事かな、と思っていますが。







けれど、その本音に気づいてから私は、
より、その気持ちの周辺にある想いの
様々を掘り起こしてみると、
実に深く、実に純粋な気持ちが隠れていました。

人としてごく自然で、
人としての理想が詰まった気持ちが。

いくつか、ヒプノセラピーで未来を観てみたり、
自分自身でセルフセラピーをやってみた中で、
「赤ちゃんを授かって、その様子を逐一
 把握しようとする人と共に生きているビジョン」
「愛おしい気持ちで赤ちゃんを抱いているビジョン」
などなどを、体験しました。

その体験は涙が出るほどリアリティがあって、
だからこそ、いつか現実になる
ということを意識付けすることができたし、
それに伴って、現実になっていない理由(感情)が
壊れていく過程も過ごしました。

ひとつひとつ、丁寧に薄皮をむくようにして。







そうして本音の私が現れたら、
今までの私の願望、注いできたエネルギーは
ほとんどがその代償のものだったり、
親の望む(であろう)私像だったり、
本音を覆い隠すのに都合のいい
私なりの「生きる理由」でした。

それでも、
そのことに邁進した自分がいたからこそ
得たものがたくさん、たくさんあります。

そしてその得たものによって
導かれた出会いや流れ、その中での学びや気付き、
そのすべてが私の血肉になっていて、
その紆余曲折、回り道や道草のようなルートも
すべて、私の望み通りだったんだ
と、今はそう思います。

母を愛する私は、今もずっといます。
ただ、その愛し方が抑圧した愛じゃなく
解放された、より自分らしい愛になりました。

魂の旅路は、難解で複雑で、
そして実にシンプル。

日常では把握しきれない
心・意識の潜在的な部分に触れていくことで
自分の本音や本当の望みが浮き彫りになって、
「そうなってない今は不自然だな」
くらいに思ったら、現実になるのは時間の問題。

本音に気づけば、発言や思考や行動は、
当たり前に変化します。

セラピーだけじゃなく
芸術に触れたり、人と関わったりすることで
ふいにその想いが甦ることもあるし、
何より、嫉妬や苛立ちや葛藤の心理は
そこに「何かある」ことを知らせてくれます。

自分を知れば知るほど、
自分自身を自由自在に生かし、活かすことは可能なんですね。

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2015/02/01 (Sun) 妊娠2


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▲ 妹みたいな友人の結婚パーティにて。

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▲ デザインコンサル後の、うれしかった手紙。






前々から話していた結婚式のことは、
妊娠の様々などで延び延びになっていて
「でもとりあえず、ドレスを着る経験はしてみたい」
と言って、試着しに行く当日の朝。

「人っていうのは、孤独なんかじゃない。
 お母さんと子どもと、一緒に力を合わせて産まれてくるの。
 どっちかの意志とか力だけじゃ無理なの。
 お医者さんとか、助産師さんとか、役所の戸籍課の人とか
 命が産まれてくる場所には必ず誰かしらがいて、
 自分が、この世界に来たことを知ってるんだよ。」

おもむろに、口をついて出てくる言葉とともに、泣いていました。
自分でも、突然こんな時に、何言ってるんだろうと思いながら

無意識の私は、無意識を汲み取ってしまうから、
後になってそれは、夫と、
そのどこか寂しげな目に映る私自身への
全身全霊の想いが言葉になったんだ、と思いました。

黙ってそれを聞いていた夫は、静かに
「胸がいっぱいだよ」
と言いました。

そして、ドレスを着るという
「幸せ」のシンボルみたいな事が
本当に現実になることが、まだどこか信じられなかったというか。

それと同じくらい
私が内心かかえていた恐さ、
その、葛藤ゆえの言葉。








ある時のヒプノセラピーで、
私は、今から生まれ行く場所から
若い両親二人を眺めているシーンが出て来ました。

母はすねて父に背を向けていて、
けれど父は母の横で笑顔で。

あれから、この世に生を受け40年近く経つ間中、
素直に愛を伝え合えない二人を必死に繋ぎ止めようとして
変わらない現実に
自分の無力さを味わい続けて来たんだなぁ、と。

生きることへの絶望さえも、心の奥にしみ込ませて。







「お母さん、結婚式したかった?」
「写真くらい撮りたかったわよ」

あの日、病院の談話室で母が言いました。

私はお母さんのその想いを、
どこかで察していて、だからずっと
「私はお母さんより幸せになっちゃいけない」
と思ってたんだ。

そうすることで、私なりに、必死に母を守ってたんだ。
そんなこと、誰も望んでないのに。

長く飲み込まれたままの
母の心の声が解放されると同時に、
私は、自分の素直な想いを感じることを赦すことができ、
生まれてから一度も、まともに考えたことのない
「結婚式」
のことをようやく、初めて想像することができました。

そして幼少期に見た、忘れられない
幻のような、夢のような記憶。
当時住んでいた家の外にある小屋の中で、
なぜか結婚式をする花嫁と花婿の光輝く美しい姿を、
私は地べたから、蛙の姿をして見上げている
という不思議なあのワンシーンは、
私の、母から続く憧れと羨望の念の塊として
印象的に残っているのかも知れないな、と思いました。

そして、偶然にもその日、病院の駐車場で
夫となった(当時の)友人から
ちょうど電話がきたんだった。






試着から帰宅し、しばらく興奮と余韻を味わいながら、
こうして、自分の気持ちに気づいて素直になること
そんなふうに今を土台に生きていくその先には、
いずれ、私が亡き祖父母を思うように、
子孫や未来を生きる命たちの歴史の一部に
私たちもなるんだ、ということを突如、痛感。

その壮大さに圧倒されそうになりながら、
私は、私の人生を、これからもずっと
喜びとともに創造していきたい、と思いました。







日々が過ぎ、
ようやく新しい生活にも慣れ始めた秋のはじめ、
なんとなく、色んな事の節目が訪れた気がして、
さて、次に進みますか。と、

「みんなと一緒に、お寺で供養してもらうこともできます」

と先生が言っていた
神奈川のお寺に行くことに。

“供養”かぁ…、となんとなく、
その感じがしっくり来なかったのは
「ディズニーランドに来るくらい楽しい事みたい」
と、命が母体に宿って、地球を眺める子どもの心境を
先生から聞いていたせいもあるし、
大事なのは、自分の感情昇華だと思いながら。

思いのほか、場の雰囲気に引き出されるかのようにして、
お寺って「帰って行った」証を残す場所なんだなぁ。
という気持ちになって、涙がどんどん出て来ました。

もう充分、泣き尽くしたと思ってたけど。








意外だったのは、突然、10代の頃
北海道に住んでいた時の私を思い出したこと。

あの頃の私は、まさか自分が命を宿すなんて
想像もしてなくて、でも
想像以上の経験を経て
今こうして、その後のさらなる景色を眺めていて。

怯えながらも自律を志して親元を離れたものの、
葛藤しながら、強がりながら生きていた当時の私に、
「大丈夫だよ」と言ってあげられる今が
誇らしいような気持ちにもなりました。

成長、してるよね、私。

止むまで泣いて、
「お腹すいた!!」
と、夫とご飯を食べに行きました。







いろんなことがしたくなって、
とりあえず、と友人と始めたジャイロキネシス。

「シードセンター」って「種の中心」て意味?
だとしたら、やっぱりちょっとシンボリック。

申込を済ませ、初めてスタジオに行くその日に、
再び、妊娠検査薬に「陽性」の反応。
季節をひとつまたいで、再び命が宿りました。

ずいぶん前だけど、いろんなものを飛び越えて、
自分の赤ちゃんを抱くビジョンが、
突然見えたことがありました。
その存在のあったかさと、ずっしりとした重さに泣いたことを思い出します。

2014年が私にとっての大転換期になるだろうことは
何年も前から予感していたものの、
青天の霹靂のように起こった結婚と妊娠。

けれど実際に、名前や生活環境が変わり、新しい日常が訪れると
その周辺の諸々がこんなにボリューミーで
濃厚だとは思いも寄らなかったし、
言葉に尽くせない様々な想いや痛みは、私が私を奥底で否定する罪悪感。

パターン化した自分へのジャッジメントをやめ
その両極端な景色や感情の間に立ってみると、
変わらずにある周囲の大切な存在があって、
私が私のスピリチュアリティとセクシャリティを
受け容れて生きることは
命を引き換えにするくらいの覚悟がいる選択だったんだな、とつくづく。

ただ、私にとっての「ほんとうのこと」は
すごいとかヤバいとか、正しいとか間違いとかを超えてて。

ありのままで、そのままで、自分らしく、
壮快な答え合わせをしながら、
好奇心に従って、これからの歩を進めます。

限界知らずで、幸せになります。
たくさん、たくさんの夢を描きながら。

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