2012・02
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2012/02/26 (Sun) ひどく長い自分の話。

新ブログ、ちまちま作成中です。
このちまちまにも意味あるなあ。
決断できないにはできないなりの、理由があるわ。なるほど。
どれほど繋いで拡げたいのだ私は??

誕生日は両親からのメールと電話で始まり、早速それぞれに泣きました。
うれしくって、ありがたくて。

「これから仙台に行くとこ」と言うと「そうか」と嬉しそうな声になる父。
オサム少年が自分の夢を叶え続けているように、お前も夢を叶えろよ!
と、全身で後押しされてる感覚がある。
父の夢は母を愛し、家族を愛し、そして自分も幸せになるってこと
(昨日のヒプノセラピーより)。
建築屋として感性を形にし、人々の住まいや空間を
より心地よいものにすること。
「俺はみんなに、もっと家を好きになってもらいたいんだ」
って言ってたし。

全部は言わないけど、そう思ってる、っていう優しさ。
声のトーンや間合い、そういうのでもちゃんと感じる。
私が私を信じていれば。





彼との「おめでとう。」「ありがとう!おめでとう。」「ありがとう!」
のやりとりも恒例になってるけど、
毎年この「誕生日が同じ」という1/365日に、いちいち感心しちゃう。
なんかやっぱり同じって、特別感があって嬉しいな。

近頃お互い自分に向き合っている彼と私は、
やっぱり無意識的な無言のコミュニケーションを取り合っている
としか思えず、彼の短いセンテンスとその言葉のチョイス、
メールならタイミングよく届くその行間に含まれるであろう
彼らしさ、彼の想いが、私にものっすごい安心感を与えてくれる。

以前、彼の良いなと思うところをあげたら「なんかすごく当然のことだね」
と言ってたけど、その「当然」にものすごい価値と愛があることを
もっと知ってほしいなぁ、とか思う。
きっと私のことだから、知ってもらえるように伝えるんだけど。
だって私にとっての「当然」に、
しきりにお礼を言う彼に「は?」と思ってたあの私が、
少しずつそれらを自分らしさとして受け容れられてるから。
そして彼の言う通りだったから。

そんな感じで、誕生日はクライアントさんにプレゼントをいただいたり、
自分へのご褒美にと、いよいよ念願のmacbook proを購入したりと
なんだか自分の意識の矢印を、理想の未来へグッと向けるような日でした。






そして翌日の昨日はFAITHのヒプノセラピー講座。

イメージの世界と現実が連動して行く感覚は、
やっぱり不思議だけど本当に面白い。
なるほど!をどんどん実感してく。

年末から節分を経て、新月、誕生日と、私は
現在:それはもう見事に慣れ親しんだ感覚、
過去:想像しうるおっかない世界(おっかなくもないけど)、
未来:描ける限りの理想のシーン
を行ったり来たりしていた。

変化していくことと変わらないこと、変わりたいのに変わりたくないみたいな
そういう拮抗する自分の感覚と思考パターンを、
どこか冷静に、時に渦に飲まれるようにして過ごしていました。
心のことは、学び尽くすということが無いのでは?
と思います。

描く理想のスタート地点は、昨年秋口に直感的に感じてたけど、
でもそれがどういうことで、どういう流れで、どういうふうに?
というのは残念ながら解らなかった。
そもそも建設的な思考や計算、というのにとても苦手意識がある。
打算とか、損得とかと結びついてしまう歪んだ思考パターン。
…と、癒しどころ満載な自分がいて、
じゃあ流れで。
と、そんなにすべてを委ねることに慣れてはいないし、
好きな人と離れても自分ひとりで自分の行きたいところへ、
さっさと決断して進んで行くような過去の自分に、
戻りたくないような意識もあった。

そして「男前!」っていう褒め言葉が、私には褒め言葉にならないのは、
足を引っ張り合うような関係には、絶対になりたくないっていう意志。




だからこそ、いろんなものに対して「ごめんね」みたいな気持ちが湧くことも
やっぱり人としてあった。
ごめんねとありがとうは全然違うけど、距離感によっては一緒、って感じ。

そして幼い頃の世界を、相変わらず社会に投影してもいた。
癒しの道は果てしないなー。
だけどその道々に出逢う物事すべてが見事に繋がって行く。
その織りなす世界の美しさといったら、
まるで螺旋状の渦を描く銀河系のようで。と、また感覚話。

いずれにせよ「自分の意思だけではどうにもならないこと」
というのも、たくさんあるから。

だけどそうやって自分の感覚が行ったり来たりする中でもがいても、
いつもそこには家族や彼や友人や仲間がいて、私を支えてくれる。
素直な想いを話せば、必ず私の気持ちを大切にして、守ってくれる。
それを甘えだという時期は、もう私の中では過ぎた気がしてる。
頼って頼られて、その関係性こそが友愛。
そして最後には、やっぱり自分の選択がすべてだと。
自分の意志、自分の意識、というそれ。

彼らが皆意識的になのか、無自覚でかは解らないけど、
そうやって支えて押し上げてくれるそれを感じるたび、
人って存在自体が愛だってことを十二分に納得できる日々です。






ヒプノは自分の無意識と意識の境目を知るって感じ。
現実と理想の食い違いを、自分の印象や感覚で埋めてく感じ。
体験すれば解る、っていうやつだけど、体感できないうちは
その理解のできなさ加減といったらなかった。

こんなにも妄想屋で、デザインしてイメージして、っていう
脳内作業をやりたい放題やっているのに。
だからこそなのかも知れないな、
だって現実とイメージや想像を埋めるのは自分自身にしかできないこと。
現実をしっかり築いて行く勇気や決断ができれば、
人はやりたいように、生きたいように、生きて行ける。
休むときにちゃんと休むこととかも。

そのためにも、人という存在は絶対に欠かせないし、
私にとってはセラピーという世界がとてもしっくり来た。
講座の受講生同士が信頼し合ってワークを進めて行くのも、
きっとすごく大事なこと。

だけど私が生まれて初めてイメージワークをしたときは、
その見えるものが何なのかがよく解らなくて、
目を瞑って見えてくる世界は、いつか雑誌でもパラパラとめくって
たまたま目に入ったシーンか何かなんじゃ…?何か意味あんの?
とか思っていた。

そのくらい、私にとってはイメージにリアリティがなく、
「よくわからん。」
それが私の最初の印象。

いっぱい不安があったり、気になることがあれば全然リラックスしないし、
瞑想状態にもならなかった。
私の場合は何度もヒプノを受けたせいか、
受講する仲間たちの雰囲気や空気感が心地よくて、
めちゃめちゃリラックスしてポヤ~ンとして、
どっぷりとイメージに入れるようになって来た。
そのへんも、完全に自分次第。

催眠、というとどうしてもイメージが悪いのは
やっぱりこう「操られる」という印象が強いからなのかな。
昔のテレビの影響とか、受けすぎてるなぁ。

イメージを覆すのが趣味の私は(趣味悪い?)
そのイメージを超えて体験しようとするところがあって、
「だいじょぶだったー!」と言いたいのは、
ほんとのことを知りたい同士へのメッセージ。
私を信じてくれる人へのメッセージ。
うーん、体張ってるなあ…本気だもんな。

とにかく、カマを持って「道はこっちだー!」とバッサバッサと草を刈り、
刈った後の空気は清々しくて爽快なイメージ。
と、私の印象を伝えてもらったのがすごく納得できます。
そんな感じだったら嬉しいなあ。







イメージの世界で得た感動的な喜びを胸に、
うきうきと実家へ顔を出したら、子離れできない母が
おもむろにゲームをしかけてくるので「わーお」と思った。
なるほど、これが意識の違い、というやつか。

彼女もかなり動物的な勘の働く人だから、
あるとき私が自分の思考の癖に気づいてそれを止め、
たぶん雰囲気としてイキイキとしだしたら、突然
「玲子、どこかに行っちゃわないでね」と言ったので驚いた。

「あなたたちが幸せになるのが一番」
と口では言いながら、「私の娘!」というアテンションを
私たちに送り続ける母の、孤独感はきっと強い。
そこに居続けなければいけないような変な使命感のようなものに、
私はただひたすら順応しようと私らしさを押し殺してたんだな。

どこにも行かないのに。
私はずっとここにいるのに。

だけど、そして、母の言う「どこか」
私が幼い頃に感じた「どこか」
それが場所とか物理的な何かじゃなく、
意識という世界であることが、今日ようやく腑に落ちた。

意識が変わることで見えてくる世界がある。
そして何も変わらないことを知る。
何も変わらないけれど、見える世界が違うせいで、
また更に、もっともっと人を愛したくなることが解る。
そしてそのために物理的に、私は私にしてあげたいことがある。
この体で得た悲しみや苦しみを癒して、
手放せば手放すほど、見えてくる世界。
愛したいからこそ、愛せる自分であるために。

…と、なんだか宗教くさいとか、スピリチュアル?とかいうのも解らなくない。
いや、これってスピリチュアルでしょうね。
それらに関する悪いイメージも良いイメージも、それぞれのもの。
私はどちらも否定しないし肯定もしない。

私は、スピリチュアルっていうのは、万物に宿る魂だと思う。
ザ、日本人な感じのあれ。
特別でも何でも無い、純粋な子供心に宿る視点だったり、感覚、感性。
好きなカフェや気になる美術館なんかに行くと感じる、心休まる静かな空気。

母の握るおにぎり。
父が送り続けてくれた一日一通のはがき。
彼が父に買って来てくれたエルビスのベアブリックや、
姉が彼にくれた彼の欲しがってた綺麗なデザインのポストイットや。
甥と姪が歌う「ハッピーバースデー」の動画や。
そういうのも全部、スピリチュアル。

だけどスピリチュアルを本気で語るならば、
過去のヒエラルキーや依存が存在する世界や意識では
私としてはNo Thank you!だし、
No.1にならなくてもいい、もともと特別なOnly one~♪
じゃなきゃ無理。
だって人に優劣なんて無いから。
自分には見えてない自分がいる、という自覚があるなら尚更。

すべては、目指すところは同じなんだろうし。
「みんなで分かち合って生きて行きたいね」っていうところ。
「なんだ、やれるんじゃん!」っていう
震災のとき、私や私の周囲で確実に現実となった、
本当の意味での「分かち合う」という世界。

なんとなく解ったけど解りきれない、みたいなのも
人によっては繰り返す必要があるのかも。
いやあ、私も散々散々繰り返したなあ!!!!!!!!
てか、これからも繰り返すのかもなあ!!!!
繰り返すよなあ…ひー。





だけど私のアンテナはなくならないわけ。
仙台へ向かう高速は雪深く、
タイヤをスリップさせながらも必死にハンドルを握り、
雪でぼやけた視界を見つめる私の勇ましき資質みたいなこれ。

「私が私を信じる。信じられないときでも信じたいと願う」
そういう意思の大切さや人の存在、それらすべてが象徴で、
客観的にみると私って「ほんとにがんばってるな」と思う。
無駄な頑張りみたいなのも多分にあるけど、がんばりたいんだろね。

そしてやっぱり
「癒し」というものは他力本願なフワフワした優しさではないなと思うし、
「夢を叶える」というのは一筋縄では行かないなってことを思い知る。
でもやっぱり、やるかやらないかだ。
その意志と意識。






うとうとしながら母子の会話の横にいた父を置いて、帰り際
「新しいパソコン買っちゃった」と言ったら突然
「そうか!」と嬉しそうに起きた。
え、寝てたよね?
なんだろう、やっぱり父って何でも解ってるんじゃないかな。

人の愛に偽善も正善もあったもんじゃない。
偽であろうとなかろうと、善を目指す「人」って美しいじゃない。
自分を感じる。
自分を信じる。

高校を卒業し、親元を離れてもなお、愛を教えてくれている
すべての人たちに、心から感謝しています。

ちなみにヒャッホー!といそいそとiPhoneをバージョンアップすべく
macを同期したら、予感的中☆
どこかで「きっとそうなる」と思っていたとおり、
iPhoneの中の写真やらメモやらが全部ぶっ飛びました…。

誕生日を境に、自ら過去をまるごと一掃したわけか。
もう、未来だけを想像、創造しちゃいなよ。me、行っちゃいなよ!
って感じかー。ふー。

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2012/02/16 (Thu) Reborn

名刺/Reading&Design&Yell

ピクチャ 2

セラピスト Noriko







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