2011・07
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2011/07/19 (Tue) 2011年、夏、仙台。

ap bank fes パブリックビューイング at 仙台に行って来ました。

これを知った時、「仙台で、やるらしい!」と言ったら、
「行こう!」と言ってくれた二人のおかげで、やっと行けた。

実は2~3年前に、チケットの優先予約が当たって
行ける機会があったんだけど、あまりに嬉し過ぎて
誰と…?行くなら、すごく行きたいと思ってる人と…。
とかウダウダ考えてて、結局行けなかった。
という我ながら呆れる顛末で。

後に「もったいなーい!言ってくれたら行ったのに!」
と言われたのは、言うまでもなく。

そういえば昔、姉に
「レイコは宝物を大事に大事にし過ぎて
 入れた箱を奥の奥にしまって無くすタイプ。」って
言われたの、思い出したぞ…!!






でも今回は行けました、ライブじゃないけど。
モニタで現地のライブの様子を見ながら、
仙台の会場にいる人たちも、掛川の現地の空気感を感じて、
あっちがノッて来るとこっちもノッて、みたいな連鎖。
生じゃなくても伝わるのね。

なにげに一番好きなinnocent worldが始まったとたん
雨がザアザア降り出したつま恋で、桜井さんが
全身ズブ濡れになりながら「このままやるよ!」って
表情でサインを送って、つま恋の会場と、仙台の会場が一致したら
涙がダーッと流れてきました。
でも既に汗だくだったから、おかまいなし。垂れ流し。

私の中にもあるように、みんなの中にもその歌の世界があって、
だから音楽って、色々超えたところで繋がれるんだろうな。
しかも歌詞カードとか、まず見ないので、
実はちゃんと歌詞を知らない、なんてことばっかりだけど、
改めて歌詞を見てみると、その曲を聴きまくってた時期の
自分の心境とやけにマッチしてて、
「ああ、だから好きだったんだね」と思ったりして。


何で泣いてんだろう、と思ったら、アキちゃんが前に
「同じ時代を一緒に生きることができて幸せ。」と言っていた
その感じが一番合ってる気がした。
自分がそこにいて、色んなことを感じてる今
私の中に全く変わらないものがあることを
自分自身に証明した気分でした。





神は 我等を救い賜うのでしょうか
それとも 科学が それに代わるのでしょうか
永遠で ありたいと思うのは 野暮でしょうか
全能で ありたいと願うのは エゴでしょうか








今日も一日中、幸せだった。
色んな優しさしかない、そんな一日だった。
興奮したせいか、日焼けしたせいか、
帰宅してシャワーを浴び、バタン!と寝て
体中がアツアツになって目が覚めた。

夏、ですね!!

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2011/07/12 (Tue) 稲穂たちの共生

今日もまた、午後から大きな雷が鳴り、
グンと気温が下がりました。

空はもくもくの入道雲が出てて、
夏休みに家族で海に行って
疲れてお昼寝しちゃうこととか
思い出したらウキウキしてきて。

紅い夕陽も、綺麗だった。

写真









ほんの数日前、
グルグル思考にはまり込む中
「今の匂い、空気、温度、風、そういうのをもっと感じたい」
と思った、その自分の願いが叶った感じ??

右脳と左脳っていうけど、
左脳が働いてるときは、右脳って停止しちゃうんだったりして。

よくわからないけど、
「感じられてない」ってことが自覚できたのは、
「感じられてる」自分の状態が良くて(というか好きで)、
「そうじゃない今は変だよ」っていう、
私なりのサインだったのかも。





それにしても、今年の雷はすごい。
ゴロゴロ音が、半端ない。

稲妻って、昔は「稲夫」と書いて、稲を実らせる(子を宿す)
力があると信じられてた、と聞いたことがある。

自然界のやることはすべてが完璧なような気がするので、
稲の生育途中に雷が鳴り、それが稲穂に実りを持たせたり、
その傍で蛙が合唱したりするのも、
それぞれの相乗効果でもって成立しながら
季節を巡るんじゃないのかな。

星のサイクルと私たちが連動してるように、
今年は様々な世界で、たくさんの新しい命が産まれそう。






ところで山形の郷土料理に「水ごはん」というのがあるそうで。
読んで字のごとく。

盆地の山形は、京都みたいに夏暑く、冬寒い、という気候。
真夏に、日持ちしないご飯を、悪くなる前に水でザーザーと洗って、
畑仕事をした後など、冷たいご飯とお漬物でサラッと食べた
という、「そのまんま」の水ごはん。

今日もまた、ぐんぐん気温が上がって来たので「冷たい麺…!」
と思いましたが、いやいや、お米がいいな、お米。
と思って、お昼は初の冷たいお茶漬けをしてみました。

CMでもやってたから、なんかいい感じに見えるけど、
ご飯を水洗いするって発想、山形の水ごはんと同じだどれー。
(※ちなみに「どれ」は意外なことに「じゃん」であります。
 「同じじゃん」が「同じだどれ」ってすごいね…。)







それにしても、夜になると涼しくなるのが、山形のいいところ。

ゆうべは前日からの寝不足で、
ベッドに沈むように、溶けるように寝ました。

沈み込むように、ベッドに身体を委ねることができる、
というのは、とても幸せなことだと思いました。
高反発マットや床では、やはり身体が痛い(象徴的な意味合いで)。

いくら低反発だとしても、身体が支えられることを信じているからこそ、
ベッドに横たわることができるし、無防備に眠ることもできる。
いつかベッドの真ん中がパックリと裂けて、
床に落ちてしまうベッドなら、
易々と安心して眠ることなどできないんだと。



ちょっとした話で、私は、
まだまだ委ねることが怖いんだなあ、
ということに気付きました。

これは心のこと。

幸せなことに、もっと委ねていいんだ、
ということを感じさせてもらっている。

言語と表現を私なりに読み取ると、そういうことなんだと思う。

少しずつ、少しずつ、
時間をかけて自分を開いて、
間違えたら謝って、うまくできたら喜んで、
時に(結構?)相手のせいにして、それでも、一歩、一歩、一歩ずつ。








心の複雑なカラクリは、
時に繋がりを見えなくさせたりもする。

だけど、私がそうであるように、いま私の周囲にいる人たちや、
これまで出会った人々の、おそらくすべてがそうであるように、
信じあって、委ね合って、そして能動的に互いを支え、愛し合いたいんだ。

なんだかその様子が目に浮かぶと、
まるでこれまた、稲穂が風に揺れるようなイメージで。

風が吹いても直立不動で上を向いているんじゃなくて、
風に揺られて、雨に当たって、太陽が出たら、また上を向いて。
そうして束になって、時に大きな、時に小さな波を
共に感じ、味わっている、というような。
そしてそれぞれの稲穂が実をつけて、万倍にも拡がってく。



繋がれないなんて、嘘だよ。
大地で繋がっているからね。
風と水で、繋がっているからね。
愛し合えないなんて、全くの幻想だからね。

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