2011・03
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2011/03/31 (Thu) 東京近郊のみなさまへ

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デザイン:atelier・0(山口玲子)
写真提供:大久保洋子
題字:斎藤亜紀





このたび
東日本大震災復興チャリティーワークショップ「いきること」
が東京都内で開催されることになり、
そのフライヤーのデザインをさせていただきました。
内容は下記のとおりです。

日時/4月6日(水)14:00~16:30
場所/東京都大田区南蒲田1-20-20 大田区産業プラザ(Pio)
内容/☆ボディ・マインド・スピリットの存在としての人間について
   ☆ニューロロジカルレベルから見た心と現実と今後の未来
    ・ニューロロジカルレベルから見た大震災の意味
    ・心と意識を視覚化し、過去の軌跡と未来の地図を見る。
    ・自分らしさと自己アイデンティティの確立
   ☆新しい明日へ向けて、自分の使命を知る
    ・今、できることとは?
    ・自分の使命とは?
    ・魂の求める方向へ向かう
参加費/¥10,000
    (収益の一部が震災復興のための義援金として寄付されます)

お申し込み/お名前(複数名の方は、参加者全員の名前)
      ご連絡先電話番号(複数の場合は、代表者)を明記の上
      上記のメール宛に送信ください。



大きな地図で見る








東京、東京近郊のみなさーーん!!
東北、頑張ってます。
そしてみなさんのお力が必要です。
なのでぜひ、メディアだけじゃない、
東北の、生の声を聞きにいらしてください。ぜひ。

ぜひ、って是が非でも、って意味ね。






それと改めて、今回協力してくれたyocoさん、
アキちん、アドバイザー(褒め係)のりこ、
デザイナー魂に火をつけ、浄化させてくれたおっしー
(「祈り」を何度も何度も聞いて、泣き尽くしてから創った)
ほか、たくさんの皆さま、本当にありがとうございました!

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2011/03/29 (Tue) 光と影と、グラデーション

T家のお隣のお宅に放置したままの車を取りに、塩釜へ。

何気に心配症のNの空気に
緊張ぎみに帰路に向かうも、
道が多少混んでいるだけで大きな障害も何もなく、
そのうち、いつもの私の無意識的有能すぎる
(意識が無さすぎて、寝てるんじゃないかと思う)運転で無事に戻って、
「ミラクルだった!!」と興奮しながら両親に訴え、夜ご飯を食べたら
そのまんまバタンと寝ちゃって、今起きた。

夜中2時。
小学校の、遠足帰りを思い出した。






本当は、いったん帰省してすぐ車を取りに(という理由のもとに)
彼らに、必要な物資を届けるつもりでいた。

帰省する前夜、ろうそくの下で
「万一、私が戻ってくることが可能だった場合、届けるもの」
リストを書いた。

みんなに意見を聞いたら、挙がってくるのは、
乾電池、ホッカイロ、お風呂代わりのウェットティッシュ、
アレルギーのR君のための食材。
そんな感じ。
「本当に、今、欲しいもの」というと、そんな感じ。

簡単にいうと、水と熱。

帰る朝、お世話になってたKさんに
「レイコさん、次来るときは電気と温泉持ってきて(笑)!」
と言われ、私が自家用ヘリでも持ってたらなあ、
と、結構本気で思ったくらい。










戻って翌日、早速買い出しに出たが、
乾電池もホッカイロも全部売り切れだった。

「買い占め」について話題になってるけど、
私みたいに、誰かに届けたい一心で買ってる人もいるかも知れないし、
そんなに怒らないで。
と思ったり、
けど、たかだか1日2日停電しただけで、
乾電池買い占めんなよなあ!山形人!
とも思った。

これで、
もしかしたら本気で、自分の安心のためだけに
買い占めをした人をもかばって、
逆に山形の人をまるごと否定するようなことになった。

それは明らかに、どう考えても変なんだけど、
「私が塩釜の人たち、その友人知人の被災地の人たちにしたい!と思うこと」
が、そういう可能性も生む。
それを「悪いこと」とか「いいこと」という視点で
他の人が考えるとなると
すんごい難しいことになると思うんですけど。

そういうのを、政府とか警察とか裁判所とかでは
日々当たり前のように行われてるのかと想像すると
頭のてっぺんが熱くなる。

今回は、誰が誰を支えるか、っていう力学みたいなものが
とても大切で心強かったり、または問題や混乱を生みだしてもいて、
万人に通用する情報も方法もない。
が、今のところの私の見解なので、
自分の意志に従って、自分の判断でやるしかない。
それを、ありがたく受け取る人と、迷惑と受け取る人とがいる。







そんなわけで、届けたい一心のイノシシ(私)は、現地から
「まあ、まあ、だいじょぶだから。」
「危ないから、来なくていいよ。」
となだめられながら、日々を送っていた。
まったく、余計なエネルギーを使わせてしまった。

朝からまた結構大きな地震があった。
ラジオで「震源地は山形沖」と言うのを聞き、
居間のテーブルに潜っていた母と
「へ?!」と驚いたけど、後に誤報であることを知った。

宮城県沖では、津波の予想もされていた。
「行かないほうがいいのかなあ…。」
バッグに詰めた洗浄綿が、私の応急処置に使われたりして、と
一瞬心をよぎったのをかき消して、
迷ったけど、結局行くことにした。







山形から仙台までの高速道路は、上り車線の一部を封鎖して
陥没した部分の修復作業が進められているだけで、
その他は問題なく通行できた。

途中、地盤がゆがみ、波打ったアスファルトが
ウニャンウニャンになっていた。

仙台から塩釜までのバスは1日3本。
利府経由のルートも調べていたが、
30分早く仙台に着き、駅前のバス停には既にL字の列があった。

スーツ姿の人、大笑いしてる楽しそうなジャージ姿の女の子たち、
リュックサックを背負ってバスを待つ人たち、雲ひとつない青空の下。
建物の外側や人々を見たら、私が知ってる、いつもの仙台だった。

陽射が眩しくて、今見えてる景色と、
帰省したあの日との境目がうまくつながらなかったけど、
気持ちはスッキリしていて、うん、私が知ってる、大好きな仙台だ!
と嬉しくなった。

日本海側の山形は、空の色が基本的に淡くて、郷愁という言葉が似合う。
太平洋側のこの、「青!青といったら青なのです!!」
っていう空は元気になる。

バスの運転手さんの後ろにあるパーテーション(?)には
「頑張ろう、東北!」とワープロで打った紙が一枚貼られていた。








宮城県を東に横断する形で、多賀城に向かい、塩釜へ北上するルート。
携帯から目を離して顔をあげると、急に異国の地に来たようだった。
多賀城の町並みは、それまでとは一変して、
私が知ってる数少ない外国に例えるなら、ベトナムみたいな感じ。

道端にはゴミと化した家財道具やタイヤ、ベコベコに凹んだ車、
割れた窓ガラス、砂埃にまみれた黄土色の道路、
庭先に座って一服するおじさん。

国道沿いだというのに、開いてるお店はおそらく一軒もなかった。
建物という建物の、床から150cmくらいのところに、
津波の水が引いた後の、泥水の線が残っていた。

私が地震を受けた砂押川の橋の、
揺れが治まるまで停車していた場所から先は、また景色が一変し
この差は地形のせいなのかな、とキョロキョロしているうちに
本塩釜駅に着いた。

2~3日前から、Nが撮ってサーバーに上げた、
何百枚もの写真を見せてもらっていた。
けれど、バスを降り、実際に現場を体感してみると、
何もかもが、言葉にならなかった。





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17日目。
砂埃が喉でチリッと傷んだ。







ネコが飛び出してこないように、Nが家のチャイムを鳴らして
お母さんに「入るよ」の合図をし、
「はーい」の返事をしたかしないか、
その時、後ろからNの名前を呼ぶ声。

「?!」

ひょっこり、ほんとひょっこり、Hさんが来た。
多賀城から自転車で来た、というカウンセラー養成講座仲間のHさん。
地震の前日、夜遅くまで一緒にいたHさん。

「わーーーーーーー!」
「ちょっとーーーー!」
「なんでーーーーー?」

それぞれが、訳わかんない、けど嬉しいし、びっくり、みたいな
気持ちが混ぜこぜになった、悲鳴のような感嘆の声をあげ、
3人で「生きてて良かった!」と涙を流して抱き合った。

「すごい、すごい、引き寄せた!」と言いながら
私は「ただいまー!」と言って、T家にあがりこんで
図々しくも慣れた感じでマグカップを洗ったりした。

しばらく歓談していたら、以前住んでいた街や職場を確認しに
近くまで来たという、講座仲間のYさんも合流し、
結局、約束もせず、同期の4人が大集合、という形になった。
mixiで、関係者の情報や、綺麗な写真を挙げてくれてたYさん。

もう、見事、としか言いようがなかった。

(3月)9日で終わるのは寂しい、
次回(2週間後)もまた逢いたい、
と言っていたら、
2週間ちょっとで、やっぱりまた会えた。

危険かもしれない、邪魔になるかもしれない、そういう色々を越えて、
それぞれ、きっとみんな、ただ会いたかったの!
私、会いたかった。







1年前まで、私は宮城に知り合いがほとんどいなかった。

7年前、東京から山形に戻るか戻らないかを悩んでいた頃、
仙台の泉に行って、いい場所だなぁ、
ここで何かやりたいなぁ、とボンヤリ考えていた。
6年前、初めて仙台でカウンセリングに行った帰り道、
仙台で仕事したいなあ、と思っていた。

カウンセリングに向かう道すがら、
思い出してしまった。
私の人生は、もっと愉しかったはずだ、ということを。

そしてしばらくするうちに、
「生きててくれてありがとう!!」と思える人たちと出会った。
海岸沿いに住む人たちを思い描いて、本気で無事を祈った。
その人たちと、こうして約束もせずに再会できた。

なんかもう「そういうふうにできてる」としか思えなくて、
しばらく、みんなで口ぐちに「不思議~」と言っていた。







お隣のKさんに挨拶をしに行ったら、
Kさんの後ろから、階段から転げ落ちるように降りてきたR君、
シャイで無口な笑顔の似合うお兄ちゃんのN君と
ちょっとぶりの再会をして、R君を膝の上に抱っこしたり、
また指ずもうをしたりして、従姉みたいな感覚で、
「今度、ゆっくり山形に遊びに来てね」と言って、帰宅した。

人のつながり、距離感、そういうものは、
地震の前より今のそれが、私にとってはすごく心地よくて幸せで、
元々、こうだったはずだよね!
っていうような感じ。
バッと霧が晴れたような。

たくさんのものが無くなってしまって、
愛着のあるもの、想い出深いもの、心の支えまでをも、
同じところに留めておくことのできない、悲しみや苦しみ。

前を向くばかりがスゴいことじゃない。
だけど、過去には決して戻れない、自然の摂理の中で、
私たちがこうして笑いあって、喜びあって、
心を束にして心強さを得られていることが、
すごく希望的だと思った。








夢から覚めたときの、境目の色を、
もう少し時間をかけて埋めて行きたい、と思います。
行ったり来たりしながら、それが綺麗なグラデーションになるまで。

はあ…これ書くのに5時間もかかってしもた。

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