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2014/05/19 (Mon) Legend of indigo 2

おもえば昨夏
「この役目を終えたら、自分のために生きよう。」
なんて決めていた(忘れていた)。





「自分のために生きる」って
「自分を活かす」ってことかな。


「死んでも後悔しない今日のために、何しよう」

そう考えた末、おもむろに電車に乗り、
10年前から気になっていた場所の
物件を見に行きました。

「いつか」を「今」に。





物件探しの途中に
コンサルティングを依頼されたりして、
都内をまわることになり。

ああ、そういえば気になってたな、と
親友の妊娠をお参りするため
港区の愛宕神社へ。

そんなあてどない旅の途中で
久しぶりに会った友人と結婚することになって。

彼が、神社のすぐそばで働いていたことを知り。








2年前、デザインさせていただいた商品が
大宮のイベントに出品されると聞き、
都内に立ち寄った際、たまたま「気になるな」と
携帯に納めていた写真の物件に、住むことになりました。

その都度、その都度のタイミングや直観、
そして友人や知人、仲間たちの声を繋いでいくうち、
ただただ、気づいたらこうなっていた。
という感じ。









しばらくは二人で「なんでこうしてるんだろうね」
と言い合っていて、けれど
「結婚ていうのが、こんなにも幸せなものだとは」
と、誰からも教わらなかった真実を見ました。

母体というものになってみて思うことは、
多くの「母」である人たち
そして母から産まれてきた人たちも、
その現象と事象の中で、
「命を謳歌すること」以上でも以下でもない。

やっぱり、そう思う。

「個」として産まれてきた以上、
孤独を味わい、孤独を分ちあう、
そのこと、そうあれること自体がとても幸せなこと。

そしてその体験の認識は変化しつづけながら、
変わらないものを見出して育てるんだろう。






ダメもとで飛び込んでダメなら、
ダメだったことを知るという体験が残り、
体験を人生にどうもたらすのかも、自由。


「変化や進化がおこる器」のことを
「自分」というのかも知れない、と思う。

「自分」とは、
「自」然を「分」かちあう、
ということかも知れないな、と今は思う。









結婚すると報告した後、
台所のメモに母が鉛筆で
「緒を切る」と書いていました。

私、なんだかんだ言って
あなたとのへその緒を切れてなかったのかも、と思って。


そんなことを思いながら
母の日の昨日、電話したら
「あら、忘れてた!ありがとう〜。
 もうすっかりバーバに徹しちゃって。アハハ」

幸せそうな様子は、幸せだよ。
笑顔が見たいのは、私なんだ。











命は、光る勾玉だった。

抽象的な表現じゃなく、そう見えたの。
ほんとに。

水にうかぶ勾玉、それをまもる
「たいのう」という玉子。

「私、、、、玉子うんじゃった!!」それが第一声。

蔵王のふもとの、父が借りる畑で、
エネルギーアタックと言われる地場との共鳴をした私は
あの竜山の雄々しい力に守り育まれて、
「私らしさ」を赦し赦されて生きてた。

で、「流産じゃなくて龍産だったよ!!」
なんてことを周りに言って
「よかったね」
と返ってくる。

これまた奇跡。











宿った魂、命とその居場所にも、
もしかして貢献できたんじゃないかな?

「かみさま との やくそく」やっぱりオススメ。










視点、視線、視野、視界が
それが曼荼羅のようにつながって、拡がってるんでしょ。
夫の言葉に、納得。

だからそれぞれの役「目」というのがあるんだ、きっと。
そしてそれぞれが分割して担う「役割分担」を適材適所で。









苦楽をともにした友人に
「私たちって、伝説を生きてるよね・・・」
と言ったら「レジェンドだからね(キリッ)」と
返ってきました。

英語にしただけなのにかっこいい。

インディゴたちが彩るレジェンド。







昨夜、インディゴブルーの空に月がうかんでいて、
「ちゃんとしたカメラじゃなきゃ写らないや」
と諦めたこの目に写る色の美しさ、
一生忘れたくないなと思いました。


なんだかまとまらないけど、徒然に。

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